あこがれのトムラウシ縦走記

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 かつて御嶽山にアミューズトラベルのツアーで登頂した時、北海道から来た若き添乗員さん(彼は北海道ではガイドとして活動している)に「北海道の山に登り始めようと思うんだけど、どの山が一番お勧め?」と問いかけると、ちょっと遠くを見るような目つきをした後、「やっぱりトムラウシでしょう」と即答が返ってきた。 それ以来、私にはトムラウシがあこがれの山になっていた。 しかし、トムラウシは簡単に近づけるような山ではない。 一昨年、昨年にアミューズのツアーで羅臼、斜里、雌阿寒、大雪、十勝を登り、いよいよ次にはトムラウシをと思っていたところに、大雪・十勝登頂ツアーでご一緒した上田さんから昨年、「来夏、山仲間でトムラウシに行くんだけど一緒に行きませんか」とお誘いをいただき、即答で参加の意を告げ、今回の山行となった。
 今回のコースは、沼の原、五色が原を通りヒサゴ沼で宿泊し、翌日トムラウシ登頂後は三川台、扇沼山を経て下山するという縦走路である。
 念願のトムラウシ登頂を果たした今、大きな虚脱感に身をゆだねているといった状況である。 一日目は山登りとはこんなにまで素晴らしいものかという、今まで経験したことのないような楽しい思いで過ごし、二日目は一転して山登りの厳しさ・怖さを存分に味わさせられる山旅であった。 この山旅は単なる一つの山旅としては片づけられない、うまく表現できないが、ずしんと重いものを私の中に残してくれたような気がする。
 メンバーは、たくましい上田さん、冷静沈着な村上さんご夫妻、最高齢ながらタフな女性のバンちゃんこと番匠屋さん、陽気で明るい女性の小川さんと私の6名で、いずれも山歴の長いべテラン揃いである。 今回は、ガイドとして登山のガイドとして有名な旭川の「やまなみ」にお願いしたが、代表の中西ご夫妻と、冬はニセコで外人相手にスキースクールを開いているという屈強な若者笹森さんの3名に付いて頂けるという夢のような豪華ガイド陣であった。

2009年7月31日 広島ー旭川(泊)

 旭川での宿泊は「やまなみ」で用意してくれた日本宿であったが、着くや否や、中西ご夫妻の荷物点検があった。 余分なものは無いか、防寒対策は十分か、めいめいの持ち荷の一つ一つを丹念に確認していく。 私は、冬用の帽子、手袋が所持されていないとい言うことで、いずれもニットで編んだ帽子、手袋を「やまなみ」からお借りすることになった。 夏山なのにこんなものまでと思ったが、いざという時のための必需品だという。 たしかに、先日のトムラウシの遭難事故でも、防寒対策の差が生死を分けた要因の一つになっていたようだ。
 無事点検が終わった後は、豪華な夕食に、軽く景気づけの乾杯を加え、上々の気分で早寝した。

2009年8月1日 クチャンベツ沼の原登山口ー沼の原ー五色が原ー化雲岳分岐ーヒサゴ沼

 5時35分、沼の原登山口を出発する。 天気予報は曇りのち雨となっていたのに、なぜか快晴に近い晴天である。 何時くずれるものやらという不安はあったが、予想外の晴天に心もはずむ。
 樹林帯の中の緩やかな斜面を登り始める。 今年は雨が多かったせいか、登山路は所々ぬかるんでいる。 整備はされているが、総じてトムラウシの登山路は人の通りが少ないせいもあるのかもしれないが、歩きやすい整備された道というわけにはいかない。
 両側の白樺などの木の緑が若々しく目にまぶしい。 気温はそれほど高くなく、7月初めに登った飯豊山のときに比べて汗をそれほどかかないで済むのがうれしい。 中西夫人の先導で、早くもなく遅くもなく安定したステップで列が進む。 彼女はきゃしゃな体形をしているにもかかわらず、人一倍大きなザックを背負い、タフな上に、いろいろな場面での判断力にたけた人で、頼りがいがある。1時間15分ぐらい歩いたところから、急登が始まった。 まだ体力を消耗していないので、それほどつらくはない。 しかもこの急登も20分ぐらいなもので、歩き始めてから1時間35分ほどで、沼の原に出た。 ここからは平坦で快適な木道歩きとなり、天気はほぼ快晴。 左手にニペソツ山、そして前方遥か向こうにあこがれのトムラウシが姿を現した。 湿原の向こうにそびえるトムラウシは決して優美ではなく、また、それほど険しくも見えないが、その堂々とした雄姿には強く引き付けられるものがある。

遥かなるトムラウシ
沼に映る逆さトムラウシ

 1時間余りの沼の原の散策は快適そのもの。 湿原に渡された木道を通り、四方の山並みを水面越しに眺め、咲き誇るワタスゲや数々の花々を眺めるという至福のひと時である。 特にトムラウシは、常に前方にそびえ、さまざまに入れ替わる前景越しに我々の目を楽しませてくれる。
 やがて道は五色が原への緩い登りとなり、すぐに、五色の水場に着く。 出発から2時間50分。 暑い日であれば、勢いよく流れる水で顔を流したくなるところであるが、それほど汗もかいていないのでノンストップで通過する。 水場から45分ぐらい登ったところに五色が原の表示板があり、ここで休憩。 休憩のたびに、中西夫人から「さあ、食べましょう」という合図がかかり、行動食を口にする。 ガイドさんたちがパクパク食べるの見て、我々もいつもよりかなり多めに行動食を口に運ぶ。 この合図は、翌日の休憩のたびにも発せられ、疲れや寒さに向け体力を維持したり、中から体を温めるのにどれほど役に立ったかは計り知れないものがある。
 五色が原は五色岳への緩やかな登り斜面に展開していて、今やチングルマの真っ盛り。 エゾコザクラ、キンバエなどの群落とともに、あたり一面を埋め尽くしている。 周りの山々を遠望しながら広々とした五色が原を眺めていると、沼の原からの夢の続きを見ているかのようで、まさにこの世の天国といったところである。

五色岳

 五色が原の標識から2時間、五色岳に着く。 五色岳の山頂は、頂きというより通過点のような緩やかな突起といったところであるが、変わった形をした頂を持つ忠別岳、化雲岳が間近に眺められ、遠くは大雪の山並みも遠望できる。 もちろん、トムラウシが間近に迫り、五色が原、沼の原が眼下にある。

忠別岳化雲岳

 五色岳を出ると、ハイマツが埋め尽くす広々とした斜面を糸のように続く道を進む。 しかし、このハイマツがナナカマドの低木とともに道をふさいでいて、歩きにくいことこの上ない。 ほとんど道が見えないほど茂っていて、足でかき分けたり、時には目の前の枝を手でかき分けたりして進む。 ここをようやく抜けると、所々でエゾカンゾウの群落が迎えてくれる。 この道でも数々の花が目を楽しませてくれるが、とうとう女王様のコマクサも姿を見せた。 ここまで今日見た花々を数え上げたら相当なものになるはずである。
 やがて、五色岳から歩くこと1時間15分、木道の両側のはるか向こうまでチングルマが埋め尽くす広場に出る。 素晴らしい光景である。 ここが化雲岳への分岐となっていて、しばし木道に座っての休憩である。 チングルマの向こうにトムラウシ。 やはりここは天国である。

エゾカンゾウとトムラウシ チングルマとトムラウシ

分岐からは緩やかな下りとなり、やがて今夜の宿泊地ヒサゴ沼が見下ろせるようになる。 雪渓を下り、せせらぎ沿いの道を下ると沼畔に出、小屋まではほんの一息である。 分岐から1時間、登山口からトータルちょうど8時間でヒサゴ沼避難小屋に到着した。
この日の小屋はすいていて十分余裕があるので、テント泊はやめて小屋どまりとすることになった。 今夜は雨も予想され、小屋に泊まれたのは幸いであった。 そういえば、今日来た道で他のパーティーには、ほとんど出合うことがなかった。
「やまなみ」の用意してくれたティータイムを和やかに過ごし、ワイン付きの豪華(?)夕食を頂き、この日を終えたが、みんな食欲もあるし元気である。 今日の望外の好天気に感謝し、この天気が明日にまで続くことを祈りつつ眠りに就く。

 沼の原、五色が原から眺めたトムラウシ山を時間の順にスライドショーにしましたので、ぜひご覧ください。

2009年8月2日 ヒサゴ沼ートムラウシー南沼ー三川台ー扇沼山分岐ー扇沼山登山口ー旭川

 深夜屋根をたたきつける雨音に一度目を覚ました以外は、ぐっすりと眠ることができた。 3時過ぎに我々パーティーが起きだし、荷づくりと身づくろいを始めると、さすがに同宿の皆さんも寝てはいられないようで起きだしてくる。 我々以外には結局数パーティー10名程度が小屋に宿泊していた。 昨晩就寝前に早立ちを知らせ、了承を得ていた身ではあるがちょっと気が引ける。
 「やまなみ」の用意してくれた紅茶で体を温め、ちょっとした朝食をとり、4時30分に小屋を出発した。 小雨が降っているので、全員雨合羽にスパッツ姿である。 今日は、中西御大の先導である。
 小屋を出るとすぐ結構急斜面の雪渓をトラバースすることになる。 中西さんが、所々固い雪をピッケルで切って足場を作ってくれるが、滑ったら沼の中へ落ちることになるので、思わずへっぴり腰になりこわごわ進む。 さらに、すぐに今度は長い急斜面の雪渓の登りにとりつく。 ここは初め雪渓右側のごろごろ岩の上を登ることとし、斜面が穏やかになった途中から雪渓を登り鞍部に出る。 強くはないが、雨が降り続いている。 小休止の後、トムラウシへの道を登る。 雨は降っているが、視界はかなり良好で、高度を上げるにつれ化雲岳の奇妙な山容はもちろん、遠くの旭岳も望むことができる。 鞍部から30分ぐらい登ると一面チングルマのお花畑の向こうに天沼が見えた。 雨ではあったがひと時の平和な時を過ごす。 「さあ食べましょう」中西夫人の檄が飛ぶ。
 やがて日本庭園と呼ばれる場所を行くが、岩、石が形作る奇妙なオブジェがちりばめられていて、他では見られないような光景である。 これまた素晴らしいが、あまり楽しむという雰囲気ではない。

  

 ここを過ぎると、ロックガーデンと呼ばれる大きな岩がごろごろしていて、そこを伝って登る岩場になる。 確かに登りにくいところではあるが、さほどのことはない。 先日遭難したパーティーでは、ここで滝のように落ちてくる水でかなり消耗して、脱落気味の人も出始めたという。 信じられないほどの悪条件であったのだろう。 ここに引き続く急斜面を登りきると、平坦な広い場所に出る。 ここまでは雨の中とは言え、さほど悪条件ではなかったが、ここから登るにつれ、だんだん雨風が強くなり、とうとう最後までカメラを取りだすチャンスは訪れなかった。
 ひとこぶ超えると、先日の遭難で全国的にも有名になった北沼に出る。 出発からちょうど3時間。 遭難パーティーはここまで6時間かかったとの報道があったが、信じられない程の悪条件であったのだろう。 その時の気温は8度であったとの報道があったが、我々がここを通過した時の気温は7.2度であった。 そのパーティーはここから右に折れて巻道を南沼に向かったが、我々はもちろん頂上を目指す。
 頂上への道は、ごろごろ岩が多く結構歩きにくかったが、頂上がどんどん迫ってくるので、目標が取りやすく攻めやすい。8時10分、ヒサゴ沼から休憩も入れて3時間40分、山頂に立つ。 雨風が強く頂上の標識と三角点をちらっと見たくらいで、すぐ下の岩陰に移動する。 ここで、夫人からは「さあ食べましょう」、御大からは「着重ねして」とお達しがある。 登ってきてまもなくで、体も火照り気味なので着重ねする必要がないように思えたが、中西さんの執拗な勧めで長袖ポロシャツを着重ねたが、これがあとあとの防寒に大変効果を発揮することになるとは思いもよらなかった。
 南沼に降りるときに、数パーティが登っていくのに出会ったが、このとき以外は、最後まで全く人に出会うことはなかった。 南沼に降り立つと雨風も弱まり、小休止を取ったが、この時はこれから先に訪れるであろう試練など、皆予想だにしていなかったに違いない。
 南沼からは、まず、十勝岳の縦走路につながる三川台に向かう。 トムラウシのいいところは、トムラウシ山の周辺が長く低木帯斜面になっていて、見晴らしがいいのと、お花畑が広く広がっていることであるが、そのため、雨風にさらされると逃げ場がないということになる。 中西さんを先頭に、黙々と列は進む。 晴れていれば所々のお花畑を楽しむところであるが、今日はそれどころではない、ただひたすら前に、前に。 岩陰で休憩を一か所取った他は、前かがみになった状態で前について歩いていると、三川台の手前で、カール状になった崖の淵に沿って進む道に出た。 その瞬間、下から崖沿いに吹き上げてくる風にあおられて前に進めない。 よろけて右斜面のハイマツに手をつき体を支える。 雨も容赦なくたたきつけてくる。 しかし、逃げ場がないのである。 とにかく、よろけながらも前に進む以外にない。 皆必死であったであろう。 ここでくじけては大変なことになる。 何とか崖沿いの道を抜けると、嘘のように風が弱まり、やれやれという思いで三川台に着く。 ひたすら歩いたおかげで、1時間40分という早いペースでの到着である。 「風が凄かったねー」という私の言葉にあまり皆の反応は無く、それぞれの思いに浸っているようであった。 中西ガイドに至っては、「まだまだこれからだよ」と、内心は測りかねるが普段通りの顔をしている。
 三川台を出発して扇沼山に向かうが、すぐにまた崖沿いの道に出ると、またまた強風に見舞われる。 一度経験しているからといって気持ちの良いものではない。 幸い、着重ねしているのと、行動食を十分取っているので、寒さはあまり感じないし、体力的にどうかなりそうだという感じはない。 ただ、このままこれが続くと体力的に大丈夫かなという不安がつきまとう。 早くここを抜けてくれ。 皆の思いは同じだろうが、誰も無言である。 先導の中西さんも黙々と歩みを続け不安を感じさせない。 さらに、中西夫人が真ん中に、しんがりに笹森さんが居てくれるのも心強い。
 やがて道は下りになり、風も収まり、谷底への下りになる。 ずいぶん下った後、扇沼山への登り返しになる。 いつもなら、こんなに下ってまた登りかと嘆きたくなるところではあるが、風のない道なら登りでもなんでもOKである。 ちょっとしたこぶの向こうに扇沼山らしき山容があり、そこに向かってだらだらと、時には急斜面を詰める。 あそこまで行けば後は下りだけ、と思って登っていると、稜線に出て、今度は左側の崖沿いの道に出た。 またまた強風に見舞われる。 多少はなれてきて、それほど不安は感じないが、あれが扇沼山かと思わせるこぶに次々と裏切られ、なかなか扇沼山に届かない。 長い長い強風の道から最後の鞍部に出ると、ここは風の通り道らしくものすごい風に見舞われる。 体がよろけそうになるのを必死に我慢する。 軽量小柄のバンちゃんは大丈夫かと見やると、なんのしっかりとステップを踏んでいる。 とは言っても、こちらとて人のことを心配する余裕なんかない。 ここまでの途中、風のないスポットがなくもなかったが、中西ガイドは全く休む気配もなく皆を引っ張る。 後で聞くと、あのような場面で休みを取ると気がだれるのだという。 皆の状態を見とりながら、絶妙の呼吸でリードしてくれたのである。
 最後の緩やかな傾斜を登りきると、待望の扇沼山分岐である。 三川台から2時間。 休む間もなく右の下り道へ。 風もなく、平和である。 道はぬかるみドロドロ状態で歩きにくいが、なんのその。 後は平和に下るだけである。
 30分ほど下ったところで、大きな岩がごろごろしたロックガーデンにでる。 ここでようやく岩に腰かけての休憩である。 ここまで来れば大丈夫。 全体にほっとした雰囲気が漂う。 雨も止み、雲がかかった旭岳も遠望できる。 やれやれ。

 

 ごろごろ岩を降り切ると、川状態になった長い下山路をひたすら下る。 まるで沢下りである。 しかも泥どろの。 それでも登山口に降り切るといつもの達成感とはまた違った、大きな重みのある、ちょっと表現できないような感情が体中に湧きあがったのであった。  登山口到着は14時30分。 ヒサゴ沼からちょうど10時間。 途中三川台の手前から扇沼山分岐までの2時間半は、まさに苦闘といってよかった。

 「やまなみ」の計らいで、温泉に寄り汗を流し、美瑛駅前のレストランで乾杯し、名物カレーうどんをたいらげ、長い一日を終えた。 今日のお宿は旭川駅前のワシントンホテル。 個室でゆっくりくつろぎ、爆睡した。

 翌日はお疲れのところ中西御大と笹森さんの案内で、美瑛町に広がるパッチワークの丘やぜるぶの丘を楽しむことができた。
 ガイドの皆さん、本当にお世話になりました。 おかげさまで、内容の濃い、思い出深い山旅となりました。
 ありがとうございました。

 ご一緒したメンバーのみなさん、いろいろお世話になりました。
 あの苦闘を一体となって乗り切った仲間として、これからもよろしくお願いします。

2009年7月16日のトムラウシ遭難事故に寄せて

 私たちがトムラウシ登山を2週間後に予定しているときにこの遭難事故が起きました。 アミューズトラベルのツアーを何度か利用している私には、大変なショックであり、しかも、ヒサゴ沼宿泊ートムラウシ登頂を間近に予定している身には他人ごとではないように感じました。 生還した方の一人は以前ツアーでご一緒した方であり、私自身あのツアーに参加していたとしても不思議ではありません。 そんなわけで、この山旅の準備中も、トムラウシにアプローチしている時も、特にトムラウシ登頂時に常に頭のどこかにこの遭難事故のことが引っかかっていました。
 私はここで、この遭難の原因などの分析をするつもりはありません。 私たちも、実際に似たような天候の日にトムラウシに向かい、無事登頂を果たしてきました。 もちろん、天候の悪さ加減がはるかに遭難時のほうが大きかったと思いますし、我々の場合はガイドさんの慎重なリードがあったおかげも大きかったと思います。 しかし、登山には予測を超えた状況に陥ることがあることを常に念頭に置いておかなければならないこと、そしてその状況の中でいかに対応するかが重要であり、またそれができる備えをしていることが必須であることを、今回の山行を通じて強く感じたのでした。 そして、パーティー全員の体調管理が万全でなければ大変なことになることも強く感じました。 もし、私たちの山旅の前に、この遭難事故が発生していなかったら、ちょっと風が強かったな程度の感覚で、今回の私たちが遭遇した悪条件をとらえたかもしれません。 この遭難がとても良い教訓になっていたことも事実です。 山の厳しさ、怖ろしさをあらためて身をもって感じた今回の山行でした。
 最後になりましたが、遭難事故で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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