一昨年に唐松から鹿島槍を縦走したとき、不帰のキレットを背後に置いてきたような気がして、何時かはと思っていたのを今年決行することにした。 よく写真などで大雪渓をアリの行列のごとく人が登っているのを見て、あれだけはやりたくないとかってから思っていたが、白馬を登るかぎりは正攻法のこのルートを取ることにした。
例年の通り京都から夜行バスに乗り、白馬駅に着いたのが6時30分頃であった。 朝食はタクシーの中で済ませ、猿倉から登り始めたのが7時30分頃、もう大勢の登山者が列を作っての登山である。 月曜だというのに大した盛り上がりであるが、土日に比べると人出もかなり少な目であるという。 白馬尻の小屋を過ぎ、15分ぐらい登った所からいよいよ大雪渓の始まりである。
前方に3、40人ぐらいの団体さんが列を作ってゆっくりと登っているが、その他はややまばらな感じで、思ったより登山客は少ない。 持参した簡易アイゼンを靴に取り付け登り始めるが、風がひんやりとして気持ちがよい。 踏み跡がしっかりついているので、そこを辿れば楽であり、従って自然と一列縦列になって登ることになる。
傾斜の緩やかなところを過ぎて、急斜面に取りかかるとさすがに息づかいも激しくなるが、冷たい風に助けられて快調に高度を上げ前の団体さんに追いつき、しばらくはお尻について登る。 どうも同郷の広島の団体らしい。 急登が終わり平らになったところで団体さんがリーダーの指示でコースを外れ、岩のごろごろしたところでかたまって朝食だか昼食だかの食事を取り始めた。 私も正規ルートでしゃがみ込み休息を取っていると、誰かが「落石だ!」と叫んだ。 周りにいた者も立ち上がり口々に「危ない!」などと叫び注意を促すが、悠然と食事をする団体めがけて数十センチの岩が飛び込んだ。 岩は一番端にいた女性が振り向く間もなく頭か首筋を直撃した。 みんなが食事をしていた場所は落石のたまり場だったのだ。 女性の負傷の度合いは定かではないが、夕方白馬山荘からヘリコプターで運ばれたようである。 ガイドブックに大雪渓での落石には注意せよと必ず書いてあるが、現実に落石の被害を目の当たりにして、その怖さに慄然とする思いであった。
大雪渓を無事に過ぎ、普通の山道になると遠慮なく照りつけるお日様のもと、暑くて暑くてたまらなくなってくる。 下から見るとすぐのように見えた小雪渓のトラバース地点になかなかとどかない。 快調だったように見えた雪渓での登りで結構体力が消耗しているとみえて、登りがきつくなる。 小雪渓のトラバースは踏み跡がしっかりついているのでアイゼンの着用は必要なかった。 ここからの登りは体力+精神力で乗り切ることになるが、周りの登山者にも余裕のある人は皆無のように見えた。 中には倒れ込んで人事不省状態になっている人もいる始末である。 しかし、何カ所かにある水場はまさにオアシスで、雪渓からの水でのどを潤すことが出来た。
2時前白馬山荘にようやくたどり着いたときは、間近に見える頂上を目指す気力もなく、とりあえず宿泊手続きを済ませ自分の寝場所に倒れ込み、一眠りした。 3時、やっと頂上に立つ。 晴れてはいるものの目の前の杓子岳、朝日岳、栂池方面からの縦走路が見えるだけではあったが、苦労を強いられた白馬を制した満足感に浸った。
白馬山荘は、1500人収容の巨大山小屋だが、レストランや個室があったり、設備はなかなか立派である。 夕方雲の切れ間に剣が顔を出す。 この日の夕日は霧の状態で急に光の輪が広がったり輝いたりする珍しいもので、感動ものであった。 繰り返し起きるこの現象をカメラに納めるべく急いでカメラを取りに戻ったが、初めて見る現象を納めることは出来なかった。 霧がほとんど晴れてから取った写真が下の写真である。 外はだいぶ冷え込み、寒い。 明日の朝も寒いかもしれないと思いつつ早寝。
ヤッケを着込み朝まだ暗い中を山荘を後にした。 前をいく数パーティーのヘッドランプがちらちらと進んでいる。 風が強く寒いが快晴である。 杓子岳に向かう途中で日の出を迎える。 かなり明るくなっており、雲の上からの日の出ということで、今ひとつである。 やや下って登ると杓子岳の急斜面にでるが、この先の長い行程を考えて、頂上を省略して巻き道を行く。 杓子を過ぎるとかなり下ってから、鑓ヶ岳の登りとなる。 朝一番のアルバイトにヤッケを脱いでTシャツになり汗をかくが、快調である。 鑓ヶ岳の頂上は一人占めであったが、落とし物を捜しに青年が戻ってきたので、写真を撮ってもらう。 剣の鋭鋒が間近に迫ってきている。
鑓ヶ岳から天狗山荘までは下り道で楽であったが、途中、大きな写真機を三脚に据えて雲の多い逆光の遠景を撮っている人がいた。 私もまねて撮った写真が右であるが、なかなかのものである。 天狗山荘では、先ほどの青年を含む家族5人連れが朝食パーティーの真っ最中であった。 しばし歓談した後、先行して山荘を出発する。 天狗平から天狗の頭、さらに天狗の大下りの取り付きまでは、前にも後にも人影がなく貸し切り状態である。 昨日の大勢の人たちはどこへ行ってしまったのだろう。 唐松方面に向かった人たちもほとんどが鑓温泉に下ってしまうのだ。
天狗の頭での眺望は素晴らしいものであった。 快晴で雲なし。 全アルプスが見渡せるし、南や、富士山も遠望できた。 去年の水晶岳での眺望に匹敵する。 これだけ晴れるとかえって感動がわかないものだなどと贅沢を言ってしまったりした。
しかし、気分の良さもここまでであった。 大下りを下り始めると意外に手こずるというか、容易でないことがわかった。 道には土や大きな岩はなく、砕けた小さな岩が積み重なっている。 滑りやすいし、所々急斜面で滑ったら転落の恐れすらある。 こんな所で捻挫したりしては後がことである。 慎重にならざるを得ず、かなりぎこちない下り方になってしまう。 おまけにぎらぎら照りつける太陽のもと、年寄りには筋力と体力の大きな消耗を来してしまった
大下りの途中で、唐松から縦走してきた数パーティーと出会うが、登りもきつそうで同情ものであるが、こちらもそれどころではない。 後ろからきた若者に抜かれたところで最下部に到着したが、しばし座り込みの1本を取った。
大下りを下った後も再び登りが待っていて、疲れた体を痛みつけるが登り切ったところがかなりの眺望でしばしの休息を取っていると、若い外人さんが一人で追いついてきた。 長野に住む英語教師のアシスタントと言うことで、百名山を40以上登っているそうだ。 大山や石鎚山の情報を伝えつつ不帰のキレットに向かう。 向かう途中、垂直とも思える壁に人間が張り付いて登っているではないか。 おいおい。 しばし息をのむ。 あれが有名な北稜(一峰)の壁である。 本当にあそこを登るのだろうか、などと思いつつ近づいていったが、不思議と恐怖感はほとんど感じなかった。 壁の直下で外人さんが下りてきた若いご婦人に八峰のキレットの情報を得ている間しばしたたずんでいると、先ほど天狗山荘で朝食パーティーをしていた家族連れが追いついてきた。 みんなで登れば怖くないといった調子で、にぎやかな壁登りとなったが、心強いやら、何かもう少し恐怖感を味わいたいような複雑な心境であった。
ここの壁の難所部分は確かに危険である。 最も危険な場所では、はじめ垂直に鎖を頼りに数メートル登り、そこから横ばい状態で左にやや登ってゆく。 足場がしっかりしていて鎖もついているので、垂直の壁に取り付いているという危険は感じるが、怖さはほとんどない。 最後に1-2メートルの鉄製の片足しか乗らないような細い橋が水平に架けられていて、頼りにならなそうな針金が右側に沿って張ってある(カラビナ用かもしれないが、持ち合わせのない身には全く役に立たない)。 橋は幅広いはしごのようになっていて、靴が切り抜かれた部分から落ちる(踏み外す)のではないかと不安を感じる。 踏み外して落ちれば一巻の終わりである。 あるいはここが一番緊張する場所かもしれない。 しかし、いざ踏み出してみると危険もなく無事渡ることが出来た。
この壁が不帰キレットの怖さの全てと言ってよく、この後何カ所かの横ばいがあるが鎖を頼りにすればなんと言うことはない。 八峰や大キレットのように、これでもかこれでもかと続けざまに難所が登場するようなことはない。 最後の横ばいを終え、数段のはしごを登りきるとそこは小さなテラスになっているが、ここで立ち上がるのがちょっと怖い。 どうせすぐ尻餅状態で逆側に降りることになるので、無理に立ち上がらなくても良いだろう。
キレットを過ぎても最後の登りが待っている。 疲れ切った身にはつらい登りであるが、あの峰を越えればすぐ唐松岳頂上山荘だと分かっているので最後の力を振り絞る。 幸い霧がでて日照りはなくなったが、やっと頂上にたどり着くとむっとしたなま暖かさを感じる。 霧がかかり、眺望はゼロに等しい。 早々に頂上を後にし、山荘にたどり着くと、先着組が生ビール片手にニコニコと迎えてくれる。 今日もハードな一日であった。
唐松岳頂上山荘にはテラスらしいものがなかったが、山荘前のたった一つのテーブルを囲んで、生ビール片手のひとときを味わった。 八方尾根を登ってきた人、五竜から来た人、白馬方面から来た人が入り交じり、今日の経験を語り、明日行く方面の情報を仕入れる。 楽しいひとときである。 私としてはこの2日間の予想外のハードさにこの先の山行をやめにして、明日は八方を下ることにした。 この先は一昨年やっているので、それほど残念ではない。 疲れたけれど、やはり楽しい思い出になる山行であった。
朝ゆっくりと言っても6時過ぎには霧で包まれた唐松を後にして下りにかかる。 急ぐ旅でもないし、気が楽である。 この尾根は所々ゆったりとした平らな部分があり、ケルンや八方池があってメリハリが利いている。 しかも眺めもすこぶる良く、初心者の山行にはうってつけである。 そんな余裕の下りではあったが、あいにく白馬は雲の中である。 八方池で、カメラ片手に昨日のビール仲間である二人の女性と雲の切れるのを待つが、一向に切れる気配がない。 この前の時もそうだったし残念ではあるが、次に期待して降りることにした。 リフトやケーブルを使った下りもすこぶる快適であったが、下るに従って暑くなるのには閉口した。
ケーブル乗り場からタクシーを頼み、ロイヤルホテルを紹介してもらい一風呂浴びることが出来た。 ホテルの内湯といっても立派な露天風呂があり、八方尾根や白馬三山が目の前に広がる(晴れていればそうなるはず)快適な温泉であった。 全てを着替えさっぱりした身になって一路広島へとご帰還である。
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