HOME 山行記

薬師岳、雲ノ平経由、水晶岳、鷲羽岳

 折立は北アルプスの裏口のような感じがする。 この方面にはこれまで訪れたことがなかったので、この夏は折立から北アルプスの西中央部にそびえる幾つかの山を訪れることにした。

第1日目 折立から太郎平、薬師岳山荘へ 2001年8月1日

 朝7時15分頃バスで折立に到着した。 富山発の直通に駅員のはからいで有峰口から搭乗させてもらったのである。 満席の乗客が吐き出されるが、皆準備に余念がなく登り始める人がいない。 しびれを切らして、私が先頭を切って登ることになった。 登りは最初から急勾配であるが、樹林帯なので日に曝されないことと、良く整備されたジグザグ道なので気持ちよく高度を稼ぐことが出来た。 途中眺望が開けたところで休んでいる内に2人組に追い抜かれたが、後は順調に三角点まで到達する。 所要時間1時間半であった。

 三角点で薬師岳の雄姿を楽しんだ後、緩やかな上り下りに取りかかるが、強い陽射しに曝された登りにはつらいものがあり、急にペースが落ちる。 とくに、整備された石畳の登りに苦戦し、何組かのパーティーに追い抜かれるが、何とか太郎平小屋にたどり着く。 折立から約4時間であるから、後半に苦戦したことになる。

 太郎平小屋でラーメンと昨夜高速道のパーキングエリアで買い求めた寿司で昼食をとり、薬師岳に向かう。 今夜の宿泊予定は薬師岳山荘である。  太郎兵衛平のキャンプ場までは平らな道を進むが、ここからは岩や石がごろごろした道の急登となる。 疲労が蓄積してきているせいか、夜行疲れが出てきたせいかかなりこたえる。 やっと薬師平に到達したが、平和な平らな部分を楽しめるのはつかの間で、勾配は楽になるがまだまだ登りが続く。 やっと稜線に出てこぶを幾つか上り下りし、ここに違いないと思われる所で薬師岳山荘が現れたときはさすがにほっとした。 太郎平小屋から約2.5時間であった。

 夕食後、同宿の人たちと雲海に沈む夕日を眺めつつ雑談を交わす。 宿泊客の内、翌日に、薬師岳を越えて五色ヶ原まで縦走する人、太郎平に下りる人が半々と言ったところであろうか。 明日も快晴らしい。 期待に胸をふくらませつつ第一日目の快眠をとる。

 

第2日目 薬師岳往復、雲ノ平へ  2001年8月2日

 朝3時半ごろ、周りのざわめきに目を覚ます。山頂で日の出を見るつもりの私も起き出す。 空に星が瞬いているので天気はいいらしい。 どうもこういう時の私はせっかちのせいか、頭にライトをつけて小屋を出たときは頂上を目指す人たちのトップにたっていた。 わかりにくい道筋をライトの光に頼りながらぐんぐん高度を上げる。 朝一番の登りで殆ど空身の状態だけあってすこぶる調子がよい。 40分弱で未だ薄暗い無人の頂上に立った。 残念ながら、雲に掛かって剣・立山は見えなかったが、すばらしい日の出を仰ぐことが出来た。

 7時30分、太郎平を出発し雲ノ平に向かう。 薬師岳山荘から太郎平への下りは、昨日の登りに比べてすいすいであったが、ここ太郎平からさらに急勾配でかなり高低差のある下りが続く。 心配された脚への負担もあまり感じずに下部に到達したところに第一渡渉点があった(橋らしきものが掛かっている)。 汗ばんだ体と、乾いたのどを癒し潤すのに最高の場所で、しばしの休息をとる。 なんと静かなことか誰にも会うことがない。

 ここからは、渓流の音を聞きながらのアップダウンの繰り返しとなるが、木道が続く楽な道である。 薬師沢小屋の手前あたりで、昨日有峰口で言葉を交わした高年夫婦に追いつく。 今日のお宿は、私と同じ雲ノ平山荘と言うことなので、そこで再会しましょうと言うことで、先に進むことにした。 薬師沢小屋についたのは太郎平から約2時間の行程であり、まあまあ順調である。 小屋のそばのちょっと怖い吊り橋を渡り、はしごを下りると、休息に丁度良い河原が広がっており、大勢の人がくつろいでいる。 ここで休憩、軽食。

 薬師沢から雲ノ平への登り道は、そのつらさという意味で私の登山歴の中に大きな1ページを飾ることになった。 急勾配、ジグザグでなく真っ直ぐ、ごろごろ岩石が大きく湿っていて滑りやすい、大きな木の根が邪魔、高い樹木に覆われていて眺望一切なし、標高差500m近く。 これだけ悪条件が重なった登りは珍しく、しかも長い。 最初は孤独な戦いを続けていたが、その内、単独行のおじさん(大柄だが重たい荷をしょっていて苦しそう)、大学生6,7人のパーティー(さらに重たい荷物)に追いつく。 私としても疲れてきて、彼らを追い抜くほどの余裕はない。 三者が抜きつ抜かれつの展開になり、その内、妙な一体感を感じるようになる。 したたり落ちる汗を拭いながらの、目のくらむような苦しさに耐えての登りをどれだけ続けただろうか。 休息を取っている大学生のパーティーを追い抜きながら、「まだまだありそうだね」と声をかけると、最後尾の女性から「高度計によるとあと100m位ですから、もうちょっとです」という冷静な声が帰ってくる。 ああ、まだ100mも。

 上を行く大学生たちから大きな歓声が上がった。 上部に到達したのだ。 私も力を振り絞って最後の登りを詰める。 勾配が緩やかになり木道が現れてきた。 やがてアラスカ庭園である。 薬師沢から約2.5時間と言ったところか。 へたり込みたくなるのを我慢して(あとの2パーティーはへたり込んでいた)何とか木陰のある林まで進み倒れるように座り込む。 毎日果実とオイルサーディンを無理矢理詰め込み、浴びるように水を飲んだ後、ザックにもたれていると、いつの間にか寝込んでしまっていた。 20分間の昼寝である。

 雲ノ平に行って良かったと言う人と、期待はずれだったと言う人の両方がいるが、私には心地よいところであった。 周囲を取り囲む勇壮な山々の姿は格好な写真撮影の材料であったし、お花畑に関する印象は薄いが、とにかく平らな所にいるという安堵感がある。 しかも、翌日何処へ向かうにしても、それほど危険な所はない。 雲ノ平山荘では、私がそういう気で見るからか、宿泊客がなごみ、落ち着き、心から山に居ることを楽しんでいるように見えた。 山荘の横の広場では、薄暗くなるまで談笑が続いた。 中でも、女性の単独行ながら、重い荷と一日の行程距離の長さで皆を驚かせたスーパーウーマンが注目を浴びた(写真左から2人目)。 左から野末さん、SW、川端さん、市井さん。

第3日目 祖父岳、水晶岳、鷲羽岳を登って三俣山荘へ  2001年8月3日

 朝4時、周りの気配で起き出す。 二人組2パーティーとほぼ同時に山荘を起ち祖父岳に向かう。 緩やかな登りであるが、昨日の疲れが残っているのか、なかなかきつい。 昨日出会った大学生パーティーにまた出会うが挨拶を交わして追い抜く。 1時間程度の登りであったが、しんどい思いをして頂上にたどり着くと、360度の眺望がご褒美として待っていた。 今日も快晴である。 槍、穂高、笠、周辺の山々が全部見える。 夫婦連れの旦那にお願いして数カ所の山を背景に写真を撮ってもらう。

    

 祖父岳から鷲羽岳北側の岩苔乗越上分岐までは一度やや下って、最後に急斜面を登ることになる。 今日はどうも登りがつらい。 何とか分岐に着いたところで、重いザックを置き、サブザックに切り替えて水晶岳の往復に向かう。 水晶岳までは、強い陽射しに悩まされた以外は、穏やかな登りが続き楽な行程であった。 頂上付近はさすがにアルプスらしくなり岩場が続き、岩を積み上げたような頂上に立つ。 ここでも快晴の360度大パノラマである。 剣、後立山、その他アルプスの山々は言うに及ばず、富士山、八、南、白山などなど書き上げたらきりがないほどである。 狭い頂上で学生3人組としばし語らいながら眺望を楽しむ。

    

 水晶小屋でベンチに座ってジュースを飲んでいると、昨日薬師沢からの登りで一緒になったおじさんや、雲ノ平山荘で一緒だった人たちが登ってくる。 また、さっき頂上で一緒だった学生さんが、私が頂上に忘れてきたダクロンのタオルを持ってきてくれた。 最近買ったばかりで重宝していただけにうれしくなり、3人にジュースをごちそうする。

 岩苔乗越上分岐からは再びザックを背に鷲羽岳に向かう。 先ずは、ワリモ岳の登りに取り付くが今日は登りが相変わらずきつい。 やっと頂上に立ったと思うと、今度は惜しげもなく高度を下げなければならない。 目前には、鷲羽の大きなピークがそびえ、ガレガレした急登が待っている。 鷲羽の登りでは途中でアゴを出すのではないかと心配していたが、何となく調子が出て、お昼過ぎの鷲羽岳頂上に到着した。
 この時間になると、かなり雲が出てきていて、穂高は残念ながら山頂部が雲に隠れている。 しかし、鷲羽池の向こうに槍がそびえ、なかなか絵になる光景である。 鷲羽池では、ゴムボートで遊んでいる人がいる。 山頂で昼食らしきものをとり、長い休憩をとる。 そこへ雲ノ平で会ったスーパーウーマンが登ってきて、写真を撮るとすぐ、「高天原に行って来ました。 これから黒部五郎小屋まで行きます」と言って、三俣山荘に泊まるという私に、「あそこは槍が見えて良い小屋ですよ」と言う言葉を残してあっという間に下りていった。
 鷲羽の三俣山荘側への下りは、足場が悪く急勾配である。 登るのも大変だろうが、下るのも楽ではない。 まだ時間も早いのであわてずゆっくり山荘に向かう。 

 三俣山荘はかなりの混みようでで、人であふれている。 しかし、ここの展望レストランは素晴らしく、私も明日は下山と言うことで気が楽になり、生ビール片手にテーブル客を相手に山談義を大いに楽しんだ。

第4日目 三俣山荘から双六小屋を経て新穂高温泉へ  2001年8月4日

 今朝は下山と言うことでゆっくり起き、山荘の朝ご飯を頂く。 やはり、みそ汁と一緒のご飯はうまい。 多くの客が出払った山荘を後に、双六へ向かう。 ところが、三俣蓮華への登りが意外にきつい。 両側のお花畑はなかなかのものであるが、なかなか楽にはしてもらえないものだ。 ぼやきつつ何とか分岐にたどり着き、迷わず頂上を回避した巻き道を進む。 アップダウンに苦しみながら進み、急勾配を下りきったところが双六小屋であった。
 小屋前のベンチで買い求めたリンゴをかじっていると、昨年五竜から鹿島槍を縦走したときに親しくなった若者を見かけ声を掛ける。 短い時間の会話ではあったが懐かしさがこみ上げてくる。 単独で槍に向かう、昨年よりもずっと逞しく凛々しくなった彼を見送る。 「またどこかでお会いしましょう」、彼の言葉がいつまでも残る。

 雲ノ平への登りに共に苦しんだ単独行おじさんが笠ヶ岳に向かうと言うことなので、ここで別れを告げ、雲ノ平山荘から一緒になった中年単独行の岩田さんと前後しながら鏡平へ向かう。 残念ながら、槍・穂高の眺めは今日は期待できない。 弓折岳山腹の分岐まではアップダウンが繰り返す尾根筋道であるが、鏡平への下りはかなりの急勾配である。 ここは、登る人にはかなりのアルバイトになりそうである。 やがて山荘と池が目に入る。 美しい。 鏡平の手前で、有峰口、雲ノ平でご一緒した高年夫婦にまたで会う。 奥さんが足を痛めたようで、ペースは極端にゆっくりである。
 鏡平山荘は、このルートのオアシスである。 名物のかき氷と早めの昼食としてラーメンをとる。 高年夫婦に別れを告げて最後の下りに取りかかる。

 ここからはとにかく下る。 ことしは、下りで調子がよい。 フィットネス倶楽部で足や全身を鍛えた効果が出ているようだ。 去年までの腰の引けた下りではなく、垂直に立ち、石から石へ小走りに移り下る往年の下りが蘇ったようだ。 小さな渓流での休憩はなんと心地よいことか。 小池新道を一気に下り、橋を渡ると立派な林道となる。 ワサビ沢までもう一息である。

 ぱらぱらと雨が、と思っていると、すぐさま閃光と雷鳴、そして豪雨。 あわてて合羽を着てワサビ沢小屋に走り込み雨宿り。 あの高年夫婦や、笠岳に向かったおじさんや、槍に向かった青年はどうしているだろうか。 心配になるが、幸いそれほどひどい雷ではない。 小やみになった頃合をみはからって岩田さんと新穂高温泉へ急ぐ。

 新穂高温泉の案内所で、栃尾温泉の民宿を紹介してもらい、「はやし屋」さんに向かう。 岩とヒノキの二つの露天風呂があり、内風呂と共に24時間楽しめる。 客数も少なく、露天風呂は常に独占である。 山で疲れた体に温泉の湯が心地よい。 あああ、だから山はやめられない。

HOME 山行記