五竜岳から鹿島槍ヶ岳へ−八峰キレットを越えて−
昨年の大キレット越えに味を占めて、今年は八峰キレットに挑戦した。 昔から、後立山連邦を遠望するとき、ひときわ秀麗な姿を見せる双耳峰の鹿島槍ヶ岳は、私にとって非常に印象深く、いずれは登ってみたいと思わせる山であった。 したがって、今年の山行を計画するとき、五竜岳から鹿島槍ヶ岳に縦走する本ルートを選ぶのにほとんど時間を要しなかった。 今年も楽しい山行ができたので、ここに綴ることにしたい。
出発 2000年8月1日
昨年と同様、京都駅発の夜行バスに乗った。 昨年、がらがらだったのに比べて、各方面行きのバスはほとんどが満席で、ここでもおばさん族が幅をきかせていた。 私の乗った白馬方面行きのバスも満席であったが、催眠酒が程良く効いて休憩時以外はぐっすりと眠ることができた。 朝、バスの中から一瞬雲の切れ間に鹿島槍が姿を見せた。 明日はあれに登るのだと思うと、ぞくぞくするような喜びと緊張を覚えた。
第一日目 8月2日 八方−五竜岳山荘
八方のゴンドラリフト乗り場に着くとすでに20人ぐらいの人が行列していたが、7時にゴンドラが運転を開始するとあっという間に自分の番になった。 ここで隣り合わせになった40歳代とおぼしき単独行の女性と、この後2つ乗り継ぐリフトでも二人きりの乗り合わせとなった。 気負うでもなく、装うでもなく二人の会話は淡々としていたが、リフトが八方池山荘にたどり着く頃にはお互いの山歴や、家族の状況がおおよそ分かるようになっていた。 母親が病気入院していて長い日取りはとれないと言いながら、彼女を山に駆り立てるものは何なのだろうかとふと思う。 彼女とは、この日、途中後先になることはあったが、ほぼ同じペースで歩を進め、一緒に山小屋にたどり着くことになる。
八方池山荘を後にしていよいよ登りに取りかかる。 ここから唐松岳頂上山荘までとにかく登り続けることになり、予想していたよりきつい行程である。 北アルプスの他のルートに比べれば、山頂あるいは尾根筋に登り切るまでの行程が遙かに楽なのかもしれないが、高低差800mはそんなに楽なものではない。 しかし、このルートには、第一から第三ケルン、八方池、丸山ケルンとメリハリがあり、晴れていれば白馬や五竜が眺められ(るらしい)、楽しく登れるルートである。 丸山ケルンからは、傾斜もきつくなり一気に上り詰める感じとなるが、ここでは、足を前に出すことが山行なりをただひたすら実行することになった。 途中、にわか雨に遭い、カッパを着たり脱いだりした他は、ほとんど休みも取らず頂上山荘にたどり着く。 八方池山荘を出発してから、ほぼ3時間の登りであった。
ガスにかすみ頂上を拝めない唐松岳に登るのを省略し、小休止の後五竜山荘に向かう。 ここからのルートは、尾根筋の高低差のないのんびりしたものと思っていたのが大違いで、かなり高度を下げ、また登るというもので、これなら遠見尾根ルートを取れば良かったと思わせるものであった。 唐松岳を後にして間もなく、このルートにもこんな所があるのと思わせる気の抜けない稜線の岩場が続く。 15分ぐらいの岩場道を下ると歩きやすい山道になるが、ここからももったいないくらいの下り道が続く。 やがてハイマツ帯を進むと、目の前に巨大な五竜の雄姿が迫ってくる。 しばし歩を止め、ここを明日登るのかと言う思いで霧に見え隠れする巨大な山塊を見上げることになった。 白岳の登りに最後の力を振り絞り、五竜山荘にたどり着いたのは午後2時を少し回った頃であった。
山小屋の小部屋には、単独行の5人の男性が集うことになった。 20代から60代まで、バランス良く一緒になって、一期一会の会話が続く。 よくもまあこれだけ話すことがあるもんだと感心するくらい、体験談や情報交換に話題がつきない。 山小屋泊の楽しいひとときである。
第二日目 8月3日 五竜山荘−五龍岳−八峰キレット−鹿島槍ヶ岳−冷池山荘
午前4時、周りのざわめきに目を覚ます。 窓の外を見れば快晴である。 五龍岳への登山道には、もう既にかなり上までライトの明かりがちらついている。 私もはじかれたように勇んで山小屋を後にする。 ライトを首からぶら下げ、はやる気持ちを抑えて昨日歩んだ稜線を振り返ったり、前方の山頂を眺めたりしながらゆっくり登る。 もっとも、勢いよく登ると息切れがして長続きしないからでもある。 半ばまで登ってきたところで日の出を迎える。 これほど赤い日の出をみたのは初めてのような気がする。 やがて山頂まであと一息のところで、岩場にさしかかる。 ちょっと体を持ち上げるのがしんどいなという程度の岩場でたいしたことはない。 頂上に着くと、快晴の空のもと360度の大パノラマが迎えてくれた。 槍、穂高はもちろん北アルプスの山々が展望でき、特に剣岳の偉容が間近だ。 これから進む方向を望めば、去年越えた大キレットによく似た感じの八峰のキレットの向こうに鹿島槍がそびえ立っている。
五竜の山頂を後にしてキレットへと急斜面を下る。 下り始めると間もなく、何本かの鎖場が続く急斜面の下りとなる。 鎖を頼りに下るが、最後の岩場には鎖がなく三点支持を守りながら慎重に下る。 あれだけ晴れていた天候が、この辺からガスがかかるようになり、岩場の荒々しさを強調するかのようである。
やがて前方にG4、G5の岩峰が見えてくる。 このあたりで、昨日山小屋で一緒になった波多野さんが追いついてきた。 64歳のお年ながら、昔農業で鍛えた体はたくましく、2年半の山歴ながら百名山を60以上こなしたという。 ここからは、波多野さんに先行してもらいながらすすみ、一日をともに過ごすことになった。 G4の頭にとりつく頃には明るい感じではあるがすっかりガスに取り巻かれていた。 鎖や梯子の連続する荒々しい岩場がこの先G5まで続くことになり、ただ黙々と進む。 所々なんでもない土の巻き道も現れるが、この方が滑ったら大変だという思いにかられ慎重に進むことにする。 G5を越えてもピーク状の岩場が次々と現れ、この辺までくると、片側あるいは両側が崖や急斜面になっていても全く恐怖を覚えなくなっていた。
道が穏やかになり下りを一服して登り始めると間もなく北尾根の頭に着く。 ずいぶん歩いた感じがするが、まだまだ先は長い。 ここで、波多野さんと思わず長話の休憩となってしまった。
ここから、だらだらした下りが続き、思い出したように岩場が現れるといったことを繰り返して、いい加減にいやになる頃再び鎖、ハシゴが続き、岩場が切れるとぱっとキレット小屋が視野に入ってきた。 キレット小屋到着が10時、早めの昼食休憩とする。 ここでは、波多野さんが重たいザックを開き、餅入りラーメンをごちそうしてくれた。 波多野さんは、なんとこのとき小屋で仕入れた缶ビールを飲み干すという豪快さで、居合わせた若者たちから感嘆の声が挙がる。 「ビールを飲んで、この先大丈夫ですか」 「いつものことだから平気、平気」 心強い人と一緒になったものである。 キレット小屋出発が11時であった。
キレット小屋からすぐにほぼ垂直の直登が待っていた。 最初は急な岩場を登り、次に垂直なハシゴをのぼる、たいしたことはなかったが、逆から来た人には、小屋を前にしてぎょっとするところらしい。 今度は今登った分どころかかなりの急降下が待っていた。 鎖を何本か分下りさらにハシゴを確か二つほど下るのであるが、ここはピークに挟まれていて暗い上に、ガスまで舞い上がってくるし、岩肌はびっしょり濡れている状況で、奈落の底へ向かっているような感じさえする。 下りきると今度は、いわゆるカニの横這いである。 垂直な岩に真横に張られた何本もの鎖と狭い足場を頼りに歩を進める。 握りしめる鎖が岩を打つ音だけが響き渡り、暗くそして湿ったような異様な雰囲気である。 ここに比べると、有名な剣岳のカニの横這いなどかわいいものである。 とにかく長い横這いが終わるとさすがにほっとした。 これ以後も、まだまだ岩場が待ち受けていたが、やはりここが最大の難所であろう。
岩だらけの道を徐々に登り詰めていく。 登りのつらさに、波多野さんから後れをとりながらもとにかく足を前に出しているうちに、鹿島槍ヶ岳の北峰と南峰を結ぶ稜線に出た。 ここに、ザックをおいて、北峰に登る。 ザックがないとなんと軽やかなことか。 ここも霧の中である。 北峰から南峰への稜線は、のどかな尾根道とは違い、結構岩っぽい道が続く。 東側の斜面には雪が豊富に残っている。 先行したパーティーはこの雪で抹茶氷水を楽しんだという。 南峰直下の登りが今日最後の岩場である。 かなり急斜面であるが、ここには鎖がない。 しかし、ホールド箇所を確かめながら登ればさしたることはない。 ただここも、逆コースをたどった人には、不安を覚える難所らしい。
ようやくたどり着いた鹿島槍の南峰。 空も明るくなり、先着パーティーと一緒に長話の休憩をとる。 南峰を後にすると太陽も顔を出してきたし、なによりも何の心配もない緩やかな下り道がうれしい。 両サイドにはお花畑が広がり、所々で雷鳥夫婦や、親子を見かける。 布引山を越え、結構長い道のりに感じながらも八峰キレットを越えた満足感に浸りながら、冷池山荘に到着した。 午後3時を大きく回っていたように思う到着であった。 山荘では、2階の喫茶ルームで、単独行同志6人が集まり、ジョッキ片手に例によって山談義を続け、夕食後には山荘前の広場で、今日越えきし鹿島槍を見上げながら暗くなるまで語り合ったのであった。
第三日目 8月4日 冷池山荘−爺ヶ岳−種池山荘−扇沢
今日の行程はハイキング気分でよいので、遅い出発とする。 爺ヶ岳への登りも、これが最後の登りかと思うと、さしてつらくはない。 爺ヶ岳の山頂では、今朝も360度のパノラマである。 北アルプスはもちろん、南、富士山、八、浅間、妙高と贅沢な眺望を存分に楽しむことができた。 種池山荘からの下りは、樹林の合間をよく整備された道を下るわけであるが、時々見える扇沢の駐車場がなかなか近づいてこない、つらい下りである。 去年は全身の筋肉痛に悩まされての北穂の下りであったが、今年はこの日に備えて多少鍛えたせいか、ほとんど筋肉痛は感じられない。 とはいいながら、もう足の筋肉が限界に思える頃、やっとバス道にたどり着いた。
コンクリートが焼けつき、ぎらぎらの太陽に照らされながら、バス道をターミナルまで歩く緩やかな登り道は、今回の一番つらい登りのように思いながら、また、山の世界といつもの世界の狭間を漂うよな気持ちで歩く私に、タクシーの女性運転手が声をかける。 「お客さん、大町温泉までお送りしますよ」、 「温泉?」 私は相乗りの二人の登山者と一緒に何の躊躇もなくタクシーに飛び乗る。 まだいつもの世界に戻らなくてよいのだ。 今夜はここで一泊しよう。
ゆっくり温泉で汗を流した後、ビール片手に、昼食に食べた信州そばのうまさといったらなかった。 来年はどこに行こうか。 思いをはせる間もなく、深い昼寝へと引き込まれていった。