大昔、佐多岬だったか、長崎鼻だったかは覚えていないが、海のかなたの屋久島を展望した時、隣の種子島とは対照的に島全体が盛り上がっているかのような光景に驚かされたことがあった。 以来、宮之浦岳に登りたいという願望があったが、遠いのと山が深く近づきにくいこともあってなかなか果たせないでいた。 ところが近年、だいぶ近づきやすくなったようなので、アミューズの主催するツアーに参加し、長年の願いをかなえることにした。
コースは、荒川登山口から縄文杉を経由して新高塚小屋まで登り宿泊し、翌日宮之浦岳を登頂して淀川登山口に下るという縦走コースである。
メンバーは、北海道、名古屋、大阪、広島、福岡の各営業所から参加した女性8名、男性7名(全員単独参加)の精鋭に、現地ガイドさん、添乗員さん、スタッフ2名で合計19名という構成であった。
広島から鹿児島まで飛行機、鹿児島から屋久島まで高速艇と、昔に比べてずいぶん便利にはなっているとは思うが、それでも一日がかりのアプローチで宮之浦の民宿に着いた。
比較的大きな民宿で、別棟の大部屋に4人の仲間と同宿であるが、夕食時に軽く飲んだビールのおかげもあり、早々と眠りに就き、熟睡する。
6時30分、荒川登山口を出発する。 この時間、ここではまだ暗くヘッドランプのお世話になり出発である。 天気予報では一日曇りとなっていたが、晴れ間も見えていてまずまずの天気である。
登山口は、既に縄文杉見物客でごった返している。 2,3人の団体にでも、ほとんどの団体に現地ガイドさんが付いていて、所々で説明を加えながらトロッコ道を行く。 我々のガイドさんは、若くて背の高いたくましい方(真鍋さん)で、やはり、所々のスポットで立ち止まり説明を加えてくれる。 しかし、なにせ19名の団体で、私は最後尾の方にいたので、説明がほとんど聞き取れない。 しょっちゅう立ち止まりがあり、いつもと様子の異なるゆっくり目の進行ではあるが、重いザックを背負っている身には楽でよい。
35分ほど歩いたところで、最初の屋久杉が現れる。 屋久杉とは樹齢1000年を超える杉を言うのだという。 ところが、この地域のすらりとした形の良い屋久杉は皆切り倒されて、こぶだらけのような醜い杉が残ったのだという。 これも運命なのだろう。
したがって、苔むした巨大な切り株が随所に残っていたり、その株にさらにいろいろな木が育ったものがあったり、杉の木にほかの木が巻きついていたり(絞め殺し)と、さまざまな奇形の木々が見受けられる。 また、時には小さめの屋久シカのお出向かいもある。
雨がふったり霧が濃い日にはもっと幻想的な雰囲気になるに違いない。
屋久杉の話や写真は、詳しいサイトがいくつもあるのでここでは省略することにして、登山口から約300m高さを稼ぎ、約3時間半ほど歩いたトロッコ道に別れを告げて、いよいよ山道に入る。 縄文杉への標高差は約400mあり結構急登が続くが、縄文杉を目指す大勢の人と、見終わって下る人が入り混じり結構にぎわいがある。 ウイルソン株、大王杉、夫婦杉などなどの見どころを過ぎて皆さんが目指す縄文杉に至る。
これが縄文杉か。 立派な木のテラスが組んであり、そこからそびえ立つ杉を見上げる。 確かに、4000年ともいわれる年月を生き抜いてきた重みを感じさせる。 杉の姿に見ほれるというよりかは、数々の木に体中を占領されながらなお生き抜いてきた姿に、ご苦労さんと言いたいような気分である。
見上げれば、先の方にモミジらしき真っ赤に紅葉した小木が生えている。 老木を彩る赤。 なんとも言えない。 そういえば、中央付近にも紅葉の小木が。
縄文杉を後にして、今夜のお宿新高塚小屋を目指し出発すると、まったく人影が消えて、我々だけの世界となる。 ものの10分も歩いたろうか、高塚小屋につくが、ヒメシャラと呼ばれる裸の木に囲まれた小さな小屋である。 ここからいよいよ本格的な登山に突入する。 それはいいのだが、これまで説明を交えてゆっくり歩を進めていたガイドさんが豹変する。 急傾斜の道をかなり速いペースで進み、重い荷を担いだ身には結構きつい。 ついていけないほどの速さではないので、皆前にぴったりと付いていくが、もうちょっとゆっくり目の方がいいんだがと皆思っているに違いない。 翌日もこのペースは変わらず、しかも、1時間を超えても休憩なしと言うのが珍しくないハードなあゆみであったが、誰も脱落することなく一体となって行動できたのは敬服ものである。
登山道にはあらゆるところに木道、木の階段がしっかり整備されている。 雨の多い山だけにぬかるみを避ける意味もあるかもしれない。 一般に敬遠されがちな登山道の階段であるが、段差も適当で、慣れるに従って快適に歩くことができた。 約一時間のハードな登りののち、新高塚小屋に着いたのは14時であった。
小屋はこじんまりとしているが、つめれば60人ぐらいは泊まれそうな大きさである。 我々以外には若いカップルにご婦人の3人づれしかいなかったので、ゆっくるり泊まることができた。 ガイドさんや添乗員さんたちはテント泊したそうである。
到着後にアミューズさんが振舞ってくれたもち入りの汁粉を楽しんだり、めいめいゆっくりと過ごす。 それほど寒さも感じられないので、屋外のテーブルで山談義がはずむ。 私の夕食は、お湯をかければ出来上がる牛丼に豚汁。 満足。
夜の寒さを心配していたが、それほど温度も下がらず、上は長そでTシャツ、下はタイツを脱いでズボンという姿でシュラフに潜り込む。 幅はそれほど広くはないが全身を覆えるフリースのケットを持ってきたのが正解で、暖かい上にやわらかく包まれているという感触が何ともいえず気持がいい。 早々と寝付いたのはいいが、夜中に目が覚めたと思ったらまだ10時であったのには閉口した。 起床時間は4時30分と決められていたので、まだ6時間以上もある。 しかし、心配は無用。 間もなく寝付き4時過ぎまで熟睡した。
朝6時、暗闇の中を出発する。 今日は天気が崩れるという予報であるが、晴れ間も見えていて登るにつれ樹木の間からきれいな朝やけが見え始める。 登ること45分。 丸い岩が露出したスポット(第2展望台)に出ると、見えた、宮之浦岳。 その左に翁岳。
九州一の高さを誇る山ではあるが、その姿はやさしく、迫力はあまり感じられないが、二つに割れている頂上が特徴である。 この周辺の山は、翁岳や、この後見えてくる永田岳、黒味岳などいずれも山頂が巨大な花崗岩の奇岩となっているので、宮之浦岳が一段とやさしげに見える。 しばし展望したあと5分も歩くと、前方に永田岳、右手に坊主岩が特徴的な姿を現してくる。
やがて、樹林帯を抜け、低い灌木帯に差し掛かると前方に宮之浦岳が間近に見えてくる。 ところが、強くはないが雨がぱらつき始め、上下カッパ姿で登ることになった。 幸い、霧や雲が発生していないので、近傍の山々の展望はきく。 リーダーが相変わらず早いペースで全員を引っ張る。 最後の50分ほどの急登に隊列はノンストップで黙々と進む。 見え隠れしていた頂上らしき岩が近づいてくるが、「あれは頂上じゃない、頂上はもっと先だ」と言い聞かせながらも「頂上であってくれ」という思いで足を運ぶ。 そして、前方から頂に届いたらしき声、声。 新高塚小屋から休憩も入れて丁度3時間。 宮之浦岳の頂上に立つ。
小雨の頂上で全員の集合写真を撮り、三角点をなぜなぜした後、早々に下りにかかる。 ここから淀川登山口までは標高差が580mぐらいしかない。 そこを4時間半ぐらいのコースタイムで下ることになるので、2か所ぐらいの大下り以外は、上ったり下ったりのだらだら下りである。 最後の最後まで登りの伴う下山路に辛くもあるが、膝にとってはやさしいようで、いつもは悲鳴を上げそうになる膝もまったく快調である。
下ること約1時間半、投石岩屋に着き昼食をとる。 ここは大きな岩が寄せ集まっていて、岩陰で雨を避けるには丁度よい。 今日のお昼は、スティックパン3本と魚肉ソーセージ3本。 用心して最上部に入れておいたので、パンは原形をとどめている。 朝食べた雑炊は暖かくておいしかったなーと、もう懐かしい思い出である。
投石岩屋から、40分で花之江河、さらに1時間15分で淀川小屋、さらに40分で淀川登山口へ。 順調な(過ぎる?)下りであった。 下るにつれ、天気は回復し、雨に濡れた木々の間からこぼれてくる光が印象的であった。 アミューズさんの予定表には、登山口着16:30となっていたが、到着は、14時ちょっとというところであった。 新高塚小屋からトータル約8時間。 お疲れさんでした。
朝から雨風が強く、山々はたれ込めた厚い雲に包まれている。 今日の登山でなくてよかった。 でも、これが屋久島かも。
海のうねりも高く、揺れが心配された高速艇もほとんどその影響がなく、ひょっとしたら引き返すかもと告げられていた飛行機も無事広島に到着。 楽しかった山旅を終えた。
ご一緒した仲間の皆さんお世話になりました。 あなた方はタフでした。
添乗員の江藤さん、おととしはガイドさんとして大雪山・十勝岳でお世話になり、今回も大変お世話になりました。 スタッフのお二方、最後に聞かせてくれた歌は素晴らしかった。 お世話になりました。
ガイドの真鍋さん、今度からもうちょっとゆっくり歩いてください。 でも、終わってみれば達成感が倍加しているような気がします。 ありがとうございました。
山々の写真をアルバムにしています。 こちらをどうぞ。